ワーホリ、語学学校の後の生活って

ワーホリ語学学校の後の生活って

またまたワーホリの時の思い出を書きます。

さて、ワーホリの方のほとんどがまずは語学学校に行って、知り合いを作って生活に慣れるというパターンなのではないでしょうか。問題は、というか楽しくなるのはその語学学校が終わってからなのですが、そこの過ごし方でその後のワーホリ生活が決まるといっても過言ではありません。

ある人は旅に出て、ある人はその町に住みつき腐ったワーホリ(笑)になり、ある人はファームステイし、ある人はまた語学学校に行くといったように何をしようと自分の自由です。

おいらが何をしたのかというと、また別の語学学校に行きました。最初のボンダイジャンクションの語学学校は、8週間くらい行ったのですが、まだまだ英語が話せない状態だったので、今度は会話専門の語学学校、ラリングアというシドニーのシティにある学校に行ったのです。

ラリングァに行ったのは1カ月くらいだったでしょうか?会話中心のクラスで当時のワーホリの間でも結構評判の良い学校でした。

それから家もホームステイから別の家に引っ越しました。場所はボークルーズといって、ローズベイよりもう少し奥に行った場所にある高級住宅街です。ここは日本人妻とオージー旦那のカップルの家だったのですが、ここでちょっとしたトラブルがあって、10日で家を引っ越さなければならないという事態になってしまいました。そんな簡単に家が見つかるわけでもなく、困ったなあと思っていたら、語学学校で知り合った友達が「ウチに来れば」と軽ーく助け舟を出してくれ、、、「やっぱ、もつべきものは友達だなあ」と思った次第です。

そんなこんなで家は友達とのシェア。といっても1つのベッドルームに3人がシェアするという日本では考えられないパターン。そしてその家のリビングにはソファに他の日本人2人が寝ており、もうひとつの部屋には日本人の男性が一人部屋を借りて住んでいるという、2ベッドルームの家に5人日本人の男が住むという暑苦しいワーホリらしい???生活が始まったのです。

おいらは、普段は彼らとはあまりつるまなかったのですが、彼らの生活、日本のドラマのDVDを借りてきては見る、マンガ喫茶に行っては読むという生活、一人は学生ビザだったのにほとんど勉強もしていないというはたから見るとグータラしている連中でした。でもなぜか礼儀だけは正しく、「○○○さん(おいらの名前)も一緒にDVD見ますか?」とか「○○○さんもいっしょに○○○やりますか」とかまあ、おいらが一番年上だったせいかいろいろ気を使ってくれ、はたから見るよりもしっかりとしている???感じでした。おいらも一緒に住んでて面白かったし、ほんとにいろんな連中がいるなあと人生勉強になったものです。

こんな、昼間は学校、夜はワーホリ屋敷(笑)に帰るという生活に終止符がうたれたのは、旅。

いよいよおいらも旅に出ることにしました。次回からワーホリ名物の「ラウンド」について書きたいと思います。

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